2009年5月5日火曜日

昔のレース Ⅱ

2月22日ブログの続き
今の富士スピードウェイのホームストレッチの裏山
メインゲートから1コーナーに向かう左側
にコースがあった
高速道路がないので長野県の伊那谷は箕輪町より
本田の軽トラ{TN360スポーツカーのようなエンジン}で向かった
何時間かけていったのか覚えていない
今記憶にあるのは一番最初だと思うが甲州街道を走り甲府市内で甲府刑務所に行ってしまったこと
竜王あたりでラジオより「夜明けのスキャット」が流れたこと
御坂トンネルでダットラに4~5台のバイクを載せた甲府のチーム
ゼッケンプレートが黄色だった
ゲートオープンまで並んで待っているトラックの多さに肝を抜かれた
神奈川 埼玉 新潟 静岡 愛知 各ナンバー
すべてが始めてみる世界
当時ノービスは固定ゼッケンではなくピットで車検がてらスプレー缶で数字を入れた
予選の事も覚えていない・・・というより無我夢中でなにも
公式練習はクラス分けがなかったと思う
CL250で柔道着の上を着た人が3メートル位ある崖を飛び降りていった
現MCFAJ理事長の新津氏と記憶している
こちらはBS90改造レーサー 改造と言えば聞こえは良いが、リアフェンダーを鉄鋸で切り
フロントフェンダーをアップにし、前後キャラメルタイヤに交換、キットパーツのアルミシリンダーと言いたいがエンジンは全くノーマル、
チャンバーは近所の鉄工場で作ったもの・・・・・まったく話にならない
スタートしてすぐだと思ったがもの凄い角度の登り坂があった  通称心臓破りの坂
登りきれたのが50CCで0  90CCで2~3台
皆バイクを押して上がる・・・・死ぬかと思った
1週できなかった
井の中の蛙  天竜川で練習したなんてなんにもならない
これが富士モトクロスの最初
どうやって帰ったかも覚えていない
覚えているのはその日朝から家に帰るまでなにも食ってないことだ
でも何時に家を出たんだろうか・・・・今計算するに8~10時間掛かっていると思う
当時長野から富士迄行ったのは数名だったと思う
ノービスからジュニアに上がるということが大変な時代
その後カワサキからF21MそれからヤマハがDT1 AT1と続いていったと思う
テクニカルライダースというチームがあったBSの準ファクトリーと思っていたが
横浜の大村というバイク屋が作っていた パイプフレームであった
その後昭和53年頃横浜のスナックでテクニカルの笹田氏と会った
会ったといっても当時はエキスパートライダーで雲上人
スナックのママに今の人誰と尋ねたら
笹田さんよ !驚いた記憶がある
余りのすべての違いに言葉もなくその後富士に来たのは2年後の18歳ごろだったと思う
マシンDT1改
コースは最終コーナーの内側にあったコース
また書こう

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